井上家住宅

この建物は非公開です)

井上家文書によると、尾張織田家の将 佐久間守信に属していた井上清秀の子どもにあたる井上正就(寛永5年没)が御先祖であり、正就は2代将軍 徳川秀忠に仕え、近侍から老中となり、最後は遠江横須賀5万2千石城主となった。
この正就の後胤 正凭(マサヨリ)が津山の森忠政(森蘭丸の弟)に仕えた後、佐用に土着し大庄屋を幕末まで勤めたが慶応元年(1865)に辞退を申し出て、近隣の親戚にあたる石堂家を推挙した。

現在の井上家の竣工は嘉永六年(1853)国の登録有形文化財である石堂家と同じ「横割り八間取り」。井上家の主屋は「式台玄関」を構え、家屋の中心には「通り間」が配置された格式のある家屋であり、現台所の大梁は旧家屋の古材を使用したとある。

大庄屋時代の古文書等は安志藩大庄屋井上家文書として兵庫県歴史博物館に寄贈されている。

この建物は、非公開です。

井上家住宅(いのうえけじゅうたく)

所在地 佐用郡佐用町福吉233  
アクセス JR上月駅から3.3km(車で5分) JR佐用駅から4.4km(車で7分)

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