純日本– tag –
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吾妻堂
1930年(昭和5)頃建築の菓子店。もとは2軒の建物であったが早い段階で北側を購入し現在の間口となる。2階は階高が高く黒漆喰塗りで、1階部分は後の改修で設置された菓子名の書かれた趣のあるガラス窓と格子戸が並ぶ。店内にある大きな陳列棚は建築当初のも... -
井戸糀店
昭和初期建築の町屋。奥は大正時代建築の醤油屋の蔵で、曳家にて移設されたもの。町屋が連続する一角にあり、間口は狭いが敷地の奥で現在も味噌を製造している。煉瓦造の糀室も建築当時から使われ続けている(温度調節の難しい夏場を除く。)。 井戸糀店(... -
エデンの東
1931年(昭和6)建築の住宅。連続した町屋の一角にあり、総2階の建物で袖うだつが特徴。戦前にカフェ、戦後に旅館、住宅と変遷し、昭和54年に「エデンの東」を創業。平成18年に改修し、現在の外観となる。その時に庇に取り付けられた大きな行燈は大阪の日本... -
北奥籐家(くつろぎの縁側 優優 YU YU)
1881年(明治14)建築、大庄屋奥籐家の分家建物。奥籐家の先祖は秦河勝(大槌大明神として祀られる)を坂越浦で出迎えた社家の一族として伝えられている。南向きに坂越浦に面して建ち、1、2階共 南面には鉤状に折れた縁側があり、外観、内観共に豊かな表情... -
奥藤本家住宅
(この建物は内部見学できません) 奥藤家は古くからこの地に根付き、1601年に酒屋を、江戸時代に塩廻船業を創業。明治時代には奥藤銀行を創立。大庄屋・船手庄屋も務めていた。その繁栄ぶりは敷地の規模で容易に推察できる。現在の建物は江戸時代後期に建... -
坂越まち並み館
大正時代に奥藤銀行坂越支店として建築。木造二階建て、入母屋屋根で広い間口、黒漆喰と連続した太めの格子が目を引く。昭和56年まで銀行として使用。寺の境内に隣接しているため妻面もよく見え、その重厚な外観はアイストップとなっている。内部にはアメ... -
坂利太
昭和初期の建物。借地に住宅として建てられた町家。少人数用の住宅として計画されたので規模は小さいが、丁寧に使用されていたため、地主が除却を惜しまれ現在に至る。町家の連続性が残る坂越地区にあり、景観形成に寄与している。 坂利太(さりーた)所在... -
暖木
1階には欄間付の開放的なガラス戸が連続し、大正時代の町屋の外観をよく留めている。建築当初は下駄屋であった建物で、近年までは雑貨屋として使用されていた。観光客に喫茶の機会をという町の要望に答え坂越大道沿いで最初の飲食店となる。 暖木(のんき... -
山陽盃酒造
1877年(天保8)創業の酒蔵。主屋は江戸後期建築。切妻屋根、瓦葺、虫籠窓、格子戸等古い商家の外観がよく残されている。酒蔵が3軒隣接する「酒蔵通り」に面する。現蔵元興一郎氏は六代目。播州一献の一部を明延鉱山坑道内「明壽蔵」に貯蔵し熟成させてい... -
老松酒造(老松ダイニング)
1768年(明和5)創業の酒蔵(屋号、北門前屋)。主屋は1816年(文化13)建築。建築当時の酒蔵の意匠をよく残している。現在は酒造業、販売店舗の他、飲食店、イベントスペースとして運営。発酵健康食を提供する「老松ダイニング」は梅の古木や稲荷社が建つ...