最上山
篠ノ丸城のある最上山は、紅葉山、一本松、千畳敷など場所毎に呼び名があるほど地域に親しまれた、身近な場所です。
ふもとの保育園に通っていた我が子たちも、日頃のお散歩は展望台から紅葉山で草花摘みをし、小さい組さんの親子遠足は千畳敷でお弁当、年長組みの親子遠足は一本松まで山登り、子供に手を引かれて登りました。
(宍粟市 Tさん)
山崎城
山崎城は木下勝俊時代の1587年(天正15年)に篠の丸城の南側、現在の場所である鹿沢の地に城を築いたとされている。
(姫路市・Mさん)
愛宕神社
愛宕神社は山崎のまちなみと周辺の山が一望出来ます。また、愛宕山をもみじ新名所に 地元住民が200本植栽しており、「山崎の東のもみじ山として、名所になってほしい」と地元の出石(いだいし)自治会の有志がモミジの苗木を植える活動を続けている。
(姫路市・Mさん)
波賀城
波賀城は、宍粟市の史跡となっており、13世紀中頃から戦国時代末期まで播磨国の中村氏が城主として拡張した山城である。天正八年(1580)羽柴秀吉の播磨侵攻による宇野攻めに中村氏は秀吉軍に与している。
(姫路市・Mさん)
山崎小学校運動会 騎馬戦での『開戦の儀』
山崎小学校では、運動会で騎馬戦を行う際に「開戦の儀(仮称)」を行います。
騎馬戦参加児童が整列し、太鼓を打ち鳴らし篠ノ丸城のあった山の方に向けて、篠ノ丸城をモチーフにした唱歌を披露するというものです。
私が小学生の時には既にこの習わしが存在していましたので、40年以上前から続けられているのは間違いありませんが、恐らく60年以上続いていると思われます。
(宍粟市 Kさん)
聖山城
1580年4月、山崎に到着した羽柴秀吉は、篠ノ丸城の出城とされていた、愛宕山頂にある聖山城を落城した。そこに本陣を構え、広瀬宇野氏が最後まで抵抗した“篠ノ丸城”“長水城”を攻め落とした。両城の攻略に黒田官兵衛が一軍の将として参戦したとして、聖山城本陣で、官兵衛が以下の句を詠んだとされている。
「篝火(かがりび)に鵜(宇野)の首見せる広瀬かな」
(姫路市・Mさん)
長水城・篠ノ丸城周辺の文化財および主な社寺仏閣
国指定重要文化財 |
御形神社 |
県指定景観形成重要建造物 |
老松酒造(老松ダイニング)、山陽盃酒造、本家門前屋、梶間家住宅、中門前屋、三日月藩御殿医山内家住宅 |
県登録文化財 |
伊和神社(幣殿・本殿) |
市指定文化財 |
興国寺山門、山崎藩陣屋門(紙屋門)、一里堂 |
市指定有形民俗文化財 |
二宮神社農村歌舞伎舞台、八重垣神社農村歌舞伎舞台 |
県指定有形民俗文化財 |
河原田農村芝居堂(八幡神社境内)、農村芝居堂(農村歌舞伎舞台・大森神社内) |
寺院 |
恩沢寺、妙勝寺、青蓮寺、遊鶴山明源寺、光泉寺、泉龍寺、随陽寺、大雲寺、薬泉寺 等 |
神社 |
愛宕神社、觱篥(ヒチリキ)神社、石作神社、岩上神社、三王神社芝居堂、庭田神社、山崎八幡神社、恵比寿神社、大歳神社、山崎歴史民俗資料館、最上稲荷山経王院、埴尾神社 等 |